~機能しない逆転劇~
〇はじめに
ウェットスーツちゃんと着なさいよ・・・
〇想起する作品
「ターミネーター」シリーズ
「シャークアタック」(1999)
「シャーク・ハンター」(2001)
「猿の惑星 創世記」(2011)
「リミットレス」(2011)
「ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲」(2014)
「LUCY」(2014)
「HUNT 餌 ハント・エサ」(2016)
「MEG ザ・モンスター」(2018)
「AI崩壊」(2020)
〇こんな話
待望の「ディープ・ブルー」(1999) 続編! シリーズ新始動!!
...今作のサメはオオメジロザメ。
〇機能しない逆転劇
360°水平線に囲まれた沖合で、フカヒレのためだけにサメを乱獲する密猟者2人を描き出し、サメを一方的な被害者と位置付けることで、サメに対するイメージを払拭させたいとするオープニングの意図は伝わる。
「ホオジロザメに定着した人食い鮫というイメージはハリウッドが創り出した幻想。仮に人を襲いに来たとしても魚やアザラシといった獲物と間違えただけで、わざわざ襲っているわけではない。サメは海の生態系に欠かせない存在であり、フカヒレのための乱獲から保護されるべきだ。」
...と、講演会にて肌の露出の多いしかも胸元がはだけたウェットスーツというよりビキニを召した自身がサメと遊泳する映像を魅せつけながら主張するミスティー・カルフーン博士の言い分へと繋ぎ、その論拠としたいのも明白である。
そんなサメのイメージの払拭と、人間の身勝手さの意識付けを経て描かれる海洋研究所アケイロスにおけるサメたちとの攻防...
人間がサメを閉じ込め研究する場所を、人間が閉じ込められる海の孤島へと反転させ、「人間(実験者及び捕食者)>サメ(被験者及び被食者)」という図式を、「サメ(捕食者)>人間(被食者)」と逆転させることで、人間とサメとのなんやかんやの見つめ直しというのはもちろん、
AIの侵攻に怯える狂信者を配置し、見舞われる惨事が人間が生み出したモノ自体の世代交代によるものであると観せることで、人間とソレとの世代交代の可能性も見据えさせ、これからの在り方(関係性)をも問おうとする気概が垣間見えた点は素晴らしかった。
しかし、密猟者を是としない姿勢からだろうが、もしも彼らが人類に牙を向いたならとする脅威を、初っ端から実験体とわかるカタチで観せてしまうのはどうなのだろうか。
大海原において編隊を組んで襲い来る5匹のサメを最初に観せてしまうと、どの環境においても「サメ>人間」と序列が定まってしまうので、見せ場であり話の根幹となっている密室劇における反転及び逆転劇が機能しないし、彼らが解き放たれたことでの続編の示唆も意味を為していないと思うのだが...。これは致命的な欠陥ではないのかな?
密猟者の死を描くのはラストの方が良かったのでは??
〇ミスティー・カルフーン博士
女優を魅せたいとする意志はわかるんだけど、博士というキャラにおいて、体温を奪われる水中において、さらにはより速く泳がなければいかない状況において、ウェットスーツを胸元開けて着こなす様を描いては絶対ダメだよ。
ずっとひけらかしているよりも、その場その場でチャックの開閉を魅せるとかでメリハリつけた方が絶対そそると思うけどなぁ~、彼女の心情の表出としても良かったと思うけど。
でかいというのをウリにしようとしているわけだから、ゆったりとした服と、ちょっと薄着になったときと、ウェットスーツとでしっかり体のラインの差別化を図らなきゃダメなんだよ・・・
3を早めに観たいなぁ~。いつになるやら。
ではでは・・・
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