~頂点捕食者人類と海の王者メガロドン~


〇はじめに

 潜水艇でタバコ吸ってるのが気になったんだけど、これって地上で撮影しているが故に外でしてる溶接作業だかの煙が入ってきちゃってそれを誤魔化すためだったりするのかな? なんか煙いよね画面が? ただの海と見せるための演出?



〇想起する作品

 「メガロドン」(2002)
 「ディープ・ショック」(2003)


〇こんな話

 4千万年前に絶滅したとされるメガロドンは海の奥深くのそのまた奥深くでまだ生きていた...



〇保護か排除か

 家族水入らずでどこかへお出かけするのだろうか、その準備の様子を父・母・息子の3人が代わる代わるカメラを回し撮影している様で、それぞれがそれぞれに向ける視線が映し出され、仲睦まじい家族の姿が描き出されていく...


 そんな家族が船上で見舞われてしまった悲劇。唯一生き残った息子は時を経て深海調査の第一人者となっていた。彼はなぜ莫大な金をかけてほとんど成果の得られない深海調査をするのか?と学生に問いかける。海底油田の掘削や、絶滅に瀕した生物の保護のためではないか、と意見を聞き入れながら、彼は何より実態の把握が必要なのだと説く。


 そんな彼に、深海捜査潜水艇の事故原因の調査依頼が舞い込んでくる。これを好機と見るや、彼は巨大鮫が両親を殺したと憎しみを露わにし、彼の説く実態の把握とは何より両親の仇の存在証明であったことが明らかになってくる。そしてその調査現場(深海)において彼は待望の再開を果たす事となる...


 彼の憎しみと執着を起点に
メガロドンとの凄惨たる攻防を描き出すことで、シーラカンスと進化の時期を同じくする海の王者が、自称頂点捕食者の人類にとって、

 海洋生物学上の偉大な発見であり、研究対象及び保護対象であるのか?

 愛する者の命を奪い得る人類の天敵であり、生存競争の相手であるのか?

...と対立する主張の議論を促され、それが可能か否かもまた踏まえ(シミュレーションし)ながら、人類の立ち位置はどこなのか? 人類はどうあるべきなのか? 人類とはナニモノなのか? とする問いへと我々を導いてくれる。


・・・のだろうか?


〇最後に

 「ディープ・ショック」(2003) の監督フィリップ・J・ロスが脚本を担当していて、根底には同じモノがありコチラで描き切れなかったことをアチラで描いたのだと思う。アチラは主張が一方的過ぎて議論の余地が無かったんだけど。コチラはその余地がある分ほんのちょっとだけアチラより面白いと個人的には思う。

 ではでは・・・


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