~環境保護と環境破壊~


〇はじめに

 原題:「MEGALODON」



〇想起する作品

 「エイリアン」シリーズ
 「ディープ・ショック」(2003)
 「第7鉱区」(2011)


〇こんな話

 エネルギー資源の枯渇に伴い、新たな油田の発見が急務で海底掘削を敢行していたところ、空洞を発見しナニカが中から飛び出してきた...



〇環境保護と環境保全と環境破壊と

 いきなり始まる情報番組内で、ビーチ(高級リゾート地?)におけるサメ襲撃事件と、舞台となる石油リグ(石油プラットフォーム)における環境問題とを、今週の話題と次週の予告とで同時に取り扱う様を観せることで、サメと石油リグとを意識的に結びつようとする姿勢は唐突だし強引に感じる。安直な導入に一抹の不安が過る...


 しかし、この情報番組の報道クルーが石油リグに取材に行くという体で、石油リグの全容のお披露目はもちろん、内情に1からアプローチしていく様はとても丁寧で親切。

 何も知らずにただ悪役を創り出したいだけだった取材班が、環境破壊だと非難されながらも海底掘削に携わる現場の人間たちとその思想や背景に触れていく中で、世間で声高に叫ばれる悪の一面とはまた異なる一面が明らかになっていく。


 人類が地球の環境を汚染し破壊しているのはごもっともだろうが、今や例外無く誰もがその環境破壊によって得られた恩恵に預かっており、エネルギー資源の枯渇は死活問題。嫌味や皮肉を交え交わされるどちらの主張にも一理ありな論議が嫌でも頭の中を駆け巡る。

 人類と自然はどのように関わっていくべきなのか? 

 そしてこの作品はもう一歩先へと我々を導く...

 有史以前に人類の誕生以前に生息していた、人間(肉)を喰らうダンクルオステウスが生きているとしたら?


 人類を容易に蹂躙できる、カルカロクレス・メガロドンが解き放たれたら?


 環境保護とは、環境保全とは、環境破壊とは、いったい「どの時代」における「誰」にとっての「どの立場」から論じるべきモノなのか? 論じられるモノなのか?

 人類自身はどこに位置付けらるのだろうか?


〇最後に

 自然という前提の論議はわかるんだけど、メガロドンお披露目までの引きがやたら長いのよねぇ~。それがちとしんどいかなぁ~。

 ではでは・・・

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