~単純にサメの映像が怖い~
〇はじめに
原題:「SHARK ZONE」
如何に海のプロであろうとほんの少しの油断が命取りになることを身を以って、いや愛する父の死を以て知り、独り逃げるので精一杯だったことへの無力さと後悔はもちろん、自分を助けてくれようと目の前で父が喰い殺されたことへの恐怖が彼の心には巣食っている。
サメの映像はもちろんなんだけど、シチュエーションとかほぼほぼ同じでビーチ(昼夜)のシーンとかそのまま使ってたりするし、なんならあちらで見せ場のあった人たちがチラホラ顔を覗かせてる。もうほぼほぼ同じ作品なんじゃないかレベル(言い過ぎ?)。
大元はまた別にあるのかなぁ~
〇こんな話
財政破綻した地域経済の復興をビーチフェスティバルに賭ける市長と、息子を誘拐までしてサメがたむろする沈没船への案内を強要してくるロシアのトレジャーハンターとの板挟みに逢いながら、ホオジロザメの恐ろしさを叫ぶ。
主人公のジミーには、スペイン王室の金銀財宝を積んだまま沈没した、商船サンタクルス号を目当てに訪れる身勝手ダイバーたちの相手を生業とする父がいた。
母とはうまく行かず離婚。諸々の事情でやむなくやっている仕事ではあるのだが、彼は元シールズということもあり、海を熟知し海の恐ろしさを誰よりも知る男だった。そしてジミーが最も尊敬する人物でもあった。
たまたま父に同行することになったその日、話は聞かないは指示や忠告は無視するは、それどころか馬鹿にさえしてくるゴミクズたちに振り回された挙句、目の前で父をサメに喰い殺されてしまう。
如何に海のプロであろうとほんの少しの油断が命取りになることを身を以って、いや愛する父の死を以て知り、独り逃げるので精一杯だったことへの無力さと後悔はもちろん、自分を助けてくれようと目の前で父が喰い殺されたことへの恐怖が彼の心には巣食っている。
そして自身にも愛する人ができ、愛する子どもが生まれたことで、その愛する者をまた失うことになるかもしれない不安とが相まって、ホオジロザメへの拭えない恐怖が増大している様が見て取れる。
なのだが、想起する作品でも書いたが、映像の前身として「ディープ・ライジング コンクエスト」(2002) があって、おそらく他からのも多分に多分あり、
似通った物語故の似通った映像や、クローズアップされた映像を流用して、どうにかこうにか別のお話として繋ぎ合わせている “うまさ” は伝わるのだが、この作品独自に撮りおろしているものではないので、そこかしかに映像内の情報に齟齬が生じてしまっている。
それぞれがそれぞれに別の目的の下撮影されたモノなわけだから致し方ないのだが、人や物や場所はもちろん映像の質が逐一変わるのがどうも気になる。第一次サメ討伐隊のシーンなんておそらく、
船の上でのやり取りと、
船の上から見たシャークケージと、
シャークケージの中の人間と、
シャークケージに群がるサメの映像は、
...全部別物。もっと細かに分かれてる可能性すらある。
この作品における登場人物とサメとが同じ画の中に同時に映り込むことがほとんど無いのが原因で...というかあったか?、それ故にそれらが同一世界であると感じられないのが難点中の難点。
サメが人を襲うシーンというのは統一されており、ほぼほぼ同一視できるってことでなんとかなるのかもしれないけど、人がサメに対して行う所業は作品ごとに多少ズレが生じるから、あるものをツギハギしてまたそれが繋がる様に単独で画を撮ろうとするってのは難しいんだろうね。
実写の人間とCGが噛み合わず何やってるのかわからない現象があるけど、実写と実写でもその弊害ってのはあって、この作品も人からサメへの行動の数々が何をしたいのか何をやっているのかがさっぱりわからない。
まぁそれでもサメの映像は本物なので、それ単独だけで十二分に恐いんだけどね。
〇( ..)φメモメモ
水恐怖症...ハイドロフォビア
サメ恐怖症...エラスモフォビア
食われるの恐怖症...フォゴフォビア(ファゴフォビア?)
〇最後に
作品内における人とサメとは別世界のモノに感じるけど、「ディープ・ライジング コンクエスト」(2002) と同じ画が多いから、作品を越えては同じ世界に感じる。
ではでは・・・
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