~歴史の教訓~
〇はじめに
この作品を鑑賞して「観た記憶を消したい」と思ったあなたは、消したところで結局もう一度この作品に手を伸ばす事でしょう~
〇想起する作品
「ファイナル・デスティネーション」シリーズ
「ジュマンジ」(1995)
「7WISH」(2017)
「7WISH」(2017)
「トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム」(2018)
「弑逆契約者ファウスツ」
「ファイナル・デスティネーション」シリーズの様に死の匂いや予兆、死への誘われ方そして死に様にはこだわりを感じるものの、ゲームの進行とプレイヤーの死が同時併行ではないこと、またプレイヤーの動機と死がいまいちリンクしていかないこともあり、マンバなるゲームが単に死を描きたいがための都合の良い道具としてしか機能していないのは痛いところ。
〇こんな話
失敗の上にこそ・・・
〇消えない過去、繰り返してはならぬ歴史
アメリカからスペインの大学院に留学しているジェイソンは女たらしの友人(カメラマン?)トマスとビーチでひと遊びした後ふと骨董品屋を訪れる。そこで彼は車椅子の店主からマンバという異端審問の時代から受け継がれるとある双六ゲームをタダで譲り受けるのだった... そのゲームは勝利すれば何でも願い事が叶うとされ、ビーチで知り合った(一目惚れした)アメリカ人(同郷)の女性エリカのお誘いもあって、軽はずみな気持ちでパーティに集まった友人たちと共にマンバを遊び始めてしまう。しかしゲームに負けた者たちには凄惨な死が待ち受けているのだった...
知ってたらやらなかったゲームによる災いを解消するために、たった一目でシンパシーを感じたジェイソンとエリカの2人は、ゲームに勝利し願い事で全て無かったことにしようと奔走する...
「ファイナル・デスティネーション」シリーズの様に死の匂いや予兆、死への誘われ方そして死に様にはこだわりを感じるものの、ゲームの進行とプレイヤーの死が同時併行ではないこと、またプレイヤーの動機と死がいまいちリンクしていかないこともあり、マンバなるゲームが単に死を描きたいがための都合の良い道具としてしか機能していないのは痛いところ。
しかし、陽キャパリピの典型的なお馬鹿ホラーと片づけてしまうには非常に勿体無くあり、むしろ「無知故の~」「若気の至り」を逆手(順手?)に取った作品であるのが面白いところ。
災いを解消すべく全てを無に帰そうとする願いはジェイソンとエリカの2人が過ごした束の間の掛け替えのない時間すらも...と、ひと夏(?)の恋路の切なさを足掛かりにその行為の意味するところを示唆する演出は Eliza Dushku の匂わせありきでそれはそれは素晴らしく、
しかし2人はどうしたって廻り合ってしまうのだとする運命(悲運)を以て、失敗の上にこそ...と、歴史の教訓へと落とし込む作りが実に実に見事だった。彼らと逆の立場及び動機を有する刑事の配置も利いていた。
ではでは・・・
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