~逃亡者~
〇はじめに
ロシア版の「逃亡者」。ただ事件の陰謀が割と簡略化されており、真相が解明されていく爽快感が希薄。逃亡中に彼のステータス(特に医療関係)があまり活かされていかないところもちと物足りない。
〇逃亡者ときどき追跡者
ヴェトロフは医師としての腕と名声もさることながら、水泳に飛び込みとスポーツ万能。しかし誰もが羨む経歴ながら、妻との関係はギクシャクしていた。 そんなすれ違いの最中妻が殺害されてしまい、彼はその罪を着せられてしまう。なんやかんやあって彼は逃亡、自身の無実を明らかにすべく奔走する。
事の成り行きを知らずして、その前後関係が定かではないにも関わらず、発言等一部を都合良く切り取り形成された真実が、後々明らかになっていく新事実によって見え方がガラリと変わっていくというのが今作の面白味であり主題だろう。
同じ時間における場を違えての行動の差異を併行して描き出し、現在置かれた状況に対する“分岐”や“もし”の可能性を示唆することで「逃亡者」ヴェトロフの心境を慮らせる演出は申し分なく、
「逃亡者」と「追跡者」の双方から物語を紡ぐ中で、同じ場におけるその境遇を違えての対応の差異や、両者の関係性を逆転させて魅せることで思い込みの盲点を演出し、真実の見え方を意識させながらの真相へのアプローチも堅実。
またその中で長年の付き合いから見出せる、性格や癖に習慣といった実際に見なくともお見通しな思い込みとは対となる、ある種の信用や信頼といった事象を散りばめており、それが手がかりとなっていく作りも巧み。
ただ...、主人公の一部だけが切り取られ創り上げられた像と、実際に彼を追いかけてみて形成されていく像との間にあまり変化が見られないのは痛いところ。
当初から彼は横柄で傲慢な存在として映っており、彼に抱くべき同情が湧き起こって来ないのだが、逃走中の彼の言動もどこかエゴイスティックでそれを打開するに至らないものばかりなのである。
彼の内面へのアプローチに注力した結果なのだろう、全ては愛ゆえのモノと片づけたい意図には理解を示したいが、そこに見出される愛のカタチは、安心ややすらぎとはほど遠いモノと受け取れ、オチ(彼の覚悟)ともうまくリンクしていない気がしてしまう。
ハリソン・フォード版は居合わせた救急の現場でカルテを書き換えちゃうシーンが今でも記憶に残っている。逃亡者でありながらリスクを冒してまで信念を貫く、溢れ出る優しさにグッとくるシーンだ。
今作はそれに当たるシーンをバス停にて子どもの結膜炎を母親に指摘することで描いているのだが、彼の行動は単なる助言に留まり子どもの回復の兆しに直結しておらず、また窮地に陥るにしても彼が起こした行動の弊害としてではないので、当初からの彼の印象を払拭できる人間性の演出としてはちと物足りない。
捜査官との信頼関係の構築においてもこれを描いていおり、2人の関係性を見据える上での見映えは良いし聞こえは確かに良いのだが、これだと見返りありきとも受け取れ損得勘定が透けて見えてしまいこれもまた同様。
彼にもっと寄り添いたくなる、人間味を感じる温かみを覚える利他的な振舞いをもっともっと描いてほしかった。
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