~天災は忘れた頃に~
〇はじめに
フィヨルドへと岩盤が崩落することで発生する津波。へぇ~そんな現象があるのかとただただ関心してしまった。
〇想起する作品
「ダンテズ・ピーク」(1997)
「ボルケーノ」(1997)
「ディープ・インパクト」(1998)
「スーパーストーム」(2003)
「スーパーストーム」(2003)
「宇宙戦争」(2005)
「デイ・アフター 首都水没」(2007)
「252 生存者あり」(2008)
〇こんな話
フィヨルドへの岩盤崩落で巨大津波が発生。襲来まで10分...〇そもそも経験していない
地質調査所(?)から石油会社へと転職することになった地質学者のクリスチャンが、最新の設備が充実しており何でもアプリで済ませられるという新天地(都市部)から、引っ越しに備える家族の待つどこもかしこもガタが来ているDIYな家(ド田舎)へと帰る道中にて、美しさと静けさに包まれるガイランゲルという土地の景観を魅せるオープニングからグッド。
家族が抱える新生活及び将来への不安と、クリスチャン自身の吹っ切れぬ迷いを併せ、彼らにとってその土地が、魂が宿る場所、安らぎを得られる場所、故郷であると位置付け、そこには彼らを踏みとどまらせようとするナニカがあると魅せることで、これから起こるだろう災害へのフラグをビンビンにおったてる。
いつかは必ず起きる。でもそれがいつ起きるのかはわからない。しかし起きたら猶予はたったの10分しかない。
警報は何のためにあるのか。では警報をいつ鳴らすのか。鳴らす直前ですらも一時の躊躇い。警報が鳴ってからも即座に動けず空白の時間が。
日々積み上げられていくデータと災害発生を導き出せる論拠。ホテルに備えられたシェルターと津波発生時のマニュアル。日常のどこかにそれを知らせるナニカがありながら、なぜそれに伴う被害を最小限に抑えることができないのか。
人気の観光地(地域の経済基盤)という側面はもちろん、住人にとっての魂、安らぎ、故郷という感情もあるいは...
災害発生までと発生後襲来までのそれぞれの猶予の中で魅せる、何も起きなかった期間に染み付いた意識と行動がもたらす異なる時間の流れ時間感覚の表現がただただ見事。積み重なった皺寄せが収束していく後悔と絶望は、どうしたって薄れ行くそもそも知らない危機意識を刺激する。
しかしだからといって今すぐにどう動けるかというと・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿