~蝕まれていく日常~


〇はじめに

 このお隣さんイベントが発生するルートってどんな善行積んだら入れるの??



〇想起する作品

 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985)
 「釣りバカ日誌 イレブン」(2000)
 「ディスタービア」(2007)
 「ヴァイラル」(2016)


〇こんな話

 徐々に徐々に徐々に蝕まれ崩壊していく日常を追いかける...



〇蝕まれていく日常の中で

 ひと時湖畔でレジャーを楽しんだ青年グスタフは自転車に跨り、庭に並べられた植木に水をやる女性や、自転車のカゴと荷台いっぱいに買い出しをしてきた女性、そして今日その時に隣に引っ越してきたヒロインソニアを横目に家路を辿っていく。


 帰宅するなり彼は玄関で腰に巻いていたパーカーと背負っていたリュックを乱雑に放り投げ土足のまま自身の部屋へと入って行こうとする。しかしその矢先、母親にそれらをたしなめられ渋々渋々渋々“ちゃんと”するのだった。


 母親は年頃な息子とまだまだ純真無垢な娘の子育てに気苦労や迷い事が絶えない様で、しかしどこか他人事で真剣に向き合ってくれないはぐらかしてばかりいる夫に寂しさや空虚さを覚えている。しかしそんな夫が助け舟になることがしばしばあり、何だかんだ頼りにしている様子。


 またその日は地域の定期的(?)な集いが催されるのか、皆が皆食べ物や飲み物を持ち寄り分け合い、古参から新参、ご近所からご遠所、顔見知りから初対面、大人から子どもまで、些細な不協和音を孕みつつも仲睦まじく交流する姿があるのだった。そんな地域の日常がパンデミック騒動で徐々に徐々に蝕まれていく...


 青い顔って?、冷たいって?、ニノス~(“ペット
”のウサギ)、くすぐりお化け、歯の妖精さん、ママより先に死にたい、不老不死のお薬、大丈夫ママは死なないわ、ニノス~...

 田舎男と都会娘、ぼ~っと釣り、酒とかタバコ、ノンフィルター派、ご近所散策、森の物音、街中に響き渡るサイレン...

 テレビに映る向こう側の世界、現実じゃない暴力的なゲーム、隣人イベント双眼鏡、カーテン、打ち上げ花火、家を覆う黒い巨大なシート...


 早朝からの狩猟、ハンティングの興奮とスリル、開店の早いスーパー、パックに入った肉、パーティで並べられたたくさんの料理、一家団欒の食事、食べ残しは犯罪?、足りない配給食、ナニコレ非常食、お肉...

 通報現場に駆け付ける救急隊員、目の前の現場を素通りするパトカーと救急車、街を包囲する問答無用な軍隊...


 普段何気なく過ごしている日常が、気にも留めない事象の数々が、インフラやライフライン然り、人と人とが互いにある水準や了解を満たしているからこそ、距離感が保たれているからこそ成立している、または達成しようとしていると暗に示していく導入から絶品。

 この平時における日常の光景(機能)に対応する事象が非常時において適宜用意されているのもまた至極丁寧で、


 終始何も把握できていないが感受性豊かなウサギ愛好家幼女と、根は真面目年頃正論反論不満爆発青年兄妹の、
その地域に根ざした家族の家庭内不和と家庭外和を全面に、

 父親の仕事?の都合に振り回され新天地へ越してきた一家の、ちょい不良都会っ娘隣人不幸属性ツンデレデレ一人娘ヒロインとの恋愛劇をご近所付き合いの、

 また、子どもはいないが公私ともに充実していそうな、お外で魅せつけイチャラブする夫婦との交友を地域交流の縮図に展開するドラマを軸に、


 老人...大人(親)...若者...子ども...、男女...夫婦...親子...家族...ご近所付き合い...地域交流...と、それぞれの年齢や立場、関係性に応じた目線や視線、物事への対応とその差異、さらにはそれに対するそれぞれの反応を描き出すことでその導線としているのが何よりも秀逸。

 徐々に徐々にほどけていく、断ち切られていく、崩壊していく日常の中で、何とか取り繕おうと、最後の一線は越えぬ様にと、なんとしてでも愛する者だけは守ろうともがく姿は他人事ではないかもしれない...



〇最後に

 物理的な痛みというよりも、内部からのじわじわ感がすごいから、ゾンビものというよりパンデミックものとして括った方が良いのか。

 ではでは・・・


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