ワールドエンド・サーガ (2018)

2022年3月6日日曜日

2018年の作品 ジャンル:ホラー 事象現象:ガイア理論 製作国:ドイツ 病変:ゾンビ

t f B! P L


~終わりと始まり~


〇はじめに

 エンディング兼劇中2人でイヤホン(ヘッドホンか?)を半分こして聴く曲が素敵。


 メモ...Franziska Henke - 「Bright Light」


〇想起する作品

 「パンデミック・サイト」(2013)
 「オートマタ」(2014)
 「ロッジ LODGE」(2014)
 「最/終/感/染 アンチ・ソーシャル」(2015)
 「セル」(2016)
 「ザ・ミスト」(2018)
 「破壊する創造者 ウィルスがヒトを進化させた」フランク・ライアン


〇こんな話

 地球にとって人類は・・・、人類はこれから何処へ・・・、私は・・・、私たちは・・・、我々は・・・



〇地球のデトックス

 ある時伝染病が地球に蔓延。ワイマールとイエナの2つの都市のみが生き残った。ワイマールでは感染者を殺害することを絶対の規則に、対しイエナでは治療法の研究を継続することでそれぞれ秩序を維持していた...


 妹の死にトラウマを抱え精神病院に暮らすビビは、ある日ワイマールからの脱出を決意。イエナへと食糧を輸送する無人列車に飛び乗ると、同じく脱出を試みるエバと2度目まして。2人の旅が始まった...


 ゾンビたちの侵入を防ぐバリケードの中で不自由する人間を余所に、かつて人間に拘束されていた動物たちがお外で優雅に過ごしている様子や、かつての人間の生活圏に容赦なく入り込み自由に伸び伸びと生命を育む植物や虫の存在が印象的。地球において人類とは?を問う導入としてピカイチ。


 カメラやCDプレイヤーというアイテムを際立たせるためもあるだろうし、そもそもどこまで意図しているのかもわからないのだが、今日人と人とを繋ぐのに欠かせないはずの電子機器が一切登場しないのも興味深い。回想には出てくるか・・・、一応蓄電もしているようだけど・・・。

 ウィルスに感染すると視界のみならず何かしらを共有できる節があり、もしかするとこの感染(伝染)という事象がその代替物なのかもしれない。
現在人類が歩んでいこうとしている未来とその到達点を、人間が意図していないカタチで魅せることに何かしら意味が。独りよがりな人類という存在が際立つか・・・?


 ワイマールは抑圧的で排他的な都市であり、イエナはそれとは正反対な希望の地として当初は映る。しかし治療というアプローチは人間には正常な状態がありそれ以外は全て病気であるという決めつけがなければこそで且つその病気の原因であるウィルスを排除できてこそである。

 一見正反対な両者ではあるが、現状の人類のイメージあるいは概念を存続させることを目的としている点においては同一のもので、詰まるところ人間本位なのである。

 ではそんな人間という住人の在り方を地球という大家さんはどう捉えているのだろうか?

 人間がウィルスを忌み嫌うかの如く、地球もまた人間を?? あるいは・・・


 繁栄が定めであるのならば絶滅もまた然り。しかしそれが終わりと同義であるのかどうなのか。

 人類という存在は地球(自然)の歴史(あるいはサイクル)の中で一過性のモノに過ぎない。しかし有史以前より人類は存在していたし、ヒトを形作るに当たってまぁそれはそれは様々なプロセスがありそしてソレはヒト誕生以前より脈々と連なっているわけで・・・

 今日の我々の姿は完成形などでは決してなく、これからも延々と続く途方もない進化の過程に過ぎない。それにも関わらず人間本位な現状の人類という概念への固執にはいったい何の意味があるのだろうか。いやだって変化って怖いし・・・

 
 そんなゾンビ世界の中で過去に囚われている2人が自分と向き合い見つめ直し未来へと歩き出そうとするロードムービー。かなり詩的な物語なので咀嚼できなくともそういう雰囲気を反芻できれば・・・



〇ワンちゃん





〇最後に

 様々な謎は残されるもののそれによって物語がくすんでいるというわけではなくどこか晴れやかで、不思議と魅入ってしまう作品だった。


 ではでは・・・



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