~今もどこかで~


〇はじめに

 このジャケ、ライアン・フィリップだったのか・・・



〇想起する作品

 「ダイ・ハード」シリーズ
 「沈黙」シリーズ
 「サドン・デス」(1995)
 「F エフ」(2010)
 「ホワイトハウス・ダウン」(2013)
 「KRISTY クリスティ」(2014)
 「女神の見えざる手」(2016)


〇こんな話

 市街地でドンパチ始めるのかと思ったら、長期休暇に入る前の誰もいなくなった学生寮での籠城戦だった。



〇繰り返されてしまう悲劇

 CIA長官の娘も亡くなった銃乱射事件を受けて尚、眼前に銃規制を求めるデモ活動があって尚、修正第2条に対し違憲判決が出る目前で尚、国民は皆銃を所持する権利があり、それは神に与えられし権利なのだから、規制するよりもむしろ武装すべきだと主張する合衆国大統領候補の上院議員がナニモノかに襲撃されるオープニングに垣間見られる銃規制派と銃所持肯定派のゆゆしき対立が背景...


 合衆国憲法修正第2条が違憲か合憲かの判断を下さなければならない立場にある最高裁判事の娘の誘拐現場(
長期休暇に入る前の誰もいなくなった学生寮)に居合わせることになった演劇一筋絶賛彼女にアプローチ中の男子学生と、息子である彼を迎えに来たデルタフォースの親父親子による籠城戦がメイン。


 ワイヤー、ヘアアイロン、バーベル、角材、杖、ナイフ、サーベル...etc.

 お宅の息子さんとお宅の娘さんド素人にも関わらず強すぎないですか?、と野暮なツッコミが湧き出る弊害を孕ませつつも、この作品は殺しのスペシャリストを集結させながら、銃を所持携帯しながら、排除すべき対象に向かって構えながら、決して銃を殺しの決め手とせず、

 銃であれば容易に可能となってしまう行為を、様々な手段を以てより生々しく痛々しく描き出すことで、人が人を傷つける・殺すという行為を、生から死への距離感を、人間の命を問い直す。


 銃が人を殺す、いや人が人を殺す。銃があれば救えた命がある、銃は人を殺すためでなく守るためにある。いやそもそも銃があるからこそ奪われた命がある。今日もどこかで悲劇が繰り返され、今もどこかで悲劇が繰り返されようとしている。

 銃が身近にありその存在が浸透した社会に蔓延る矛盾を、抱える葛藤やジレンマを浮き彫りにする、改めて見つめ直そうと促すドラマは興味深かった。



〇最後に

 真面目な作りをしている印象だけど、なんだかんだ全体的にもっさりしてるんだよね。爽快痛快アクションを想像期待すると大分しんどいかな。

 ではでは・・・


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