闇の処刑人 ザ・ショットガン (2019)

2021年7月30日金曜日

2019年の作品 ジャンル:アクション 製作国:アメリカ 舞台:ロサンゼルス

t f B! P L

~空虚な正義~


〇はじめに

 ジャケ詐欺あるある~、脇役のくせに出しゃばってくる~。案の定ルーク・ゴスは主役じゃない。彼が主役。



〇想起する作品

 「キック・アス」シリーズ
 「デアデビル」(2003)
 「神の一手」(2014)
 「殺されたミンジュ」(2014)
 「デス・ウィッシュ」(2018)
 「ジョーカー 許されざる捜査官」
 「デクスター」


〇こんな話

 目には目を、歯には歯を、法外には法外を。



〇空虚な正義

 大学で教鞭を取り法律を専攻するノーランは、野放しとなっている犯罪者や警官の汚職の横行を列挙し、機能していない法律という正義への不満を示す学生に対し、法には適正手続きがありその段階がしっかりと踏まれている合衆国においては法制度は機能しており正義は実行されていると豪語していた。


 そんな折、彼の妻子が偶然居合わせてしまった殺人現場で巻き添えに殺害されてしまう。目撃者がいたことから犯人は逮捕され一旦は事件の解決を見たものの、その目撃者が死亡して(殺害されて)しまったことにより犯人が釈放されてしまうのだった。


 法律という正義の無力さに打ちのめされた彼は自身で復讐を遂げようとする。しかし悪人を見す見す野に放った法律(正義)が今度は彼を牢屋へとぶち込むのだった...


 部外者から当事者及び被害者となったことで見えてくる現実への憂い。本来期待される機能とは真逆にはたらく法律という正義への煮えたぎる怒り。そして復讐心という一時の感情の芽生えと、時間の経過と葛藤を経ての確固たる決意から、理想の正義を追い求める。

 事実無根で服役を強いられる者もいれば、明らかな有罪で野放しとなる犯罪者がいる現実において、その悲しみを知る者その事実を知る者たちの自警団としての活動の根幹には確かに理想の正義の姿があるかもしれない。しかしそれを達成せんがための道程は如何様なモノであったのか。

 それらによって成し遂げられた正義には如何様な意味があるのだろうか? いや、意味が無いなどと言えるのか?

 彼らが掲げそして追い求める本来あるべき正義のカタチと、その正義の遂行に当たり正常に機能している正義をも軽んじる侵害するいや根底から覆しかねない蛮行の数々に見られる、理想と現実の乖離及び矛盾からいったい何を見出すことができるだろうか。

 正義とは・・・



〇最後に

 主人公であるノーランの妻子が殺害される事件における、目撃者をその場で殺さないといけないくらいならもっと殺す時に人目や場所を気にしろよって感じられてしまうシチュエーションはどうにかならんかったのかなぁ~。如何にイレギュラー且つ理不尽な巻き込まれ方だったのかが一番のポイントでしょうに。主人公の憤りへの同期よりも、作品から心が離れてしまうよ。

 でもアレなのかな、銃社会であることと犯罪多発地帯のロサンゼルスという場所を加味してのお話なのかね?


 ではでは・・・

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