~複雑化と単純化~
〇はじめに
前作「アサルト・ベレー 緋色の奪還作戦」から引き継がれているキャラクターがいるんだろうけど、ダメだわからん通じていかない・・・。でも大丈夫、絶対に変わらないものがあるから(`・ω・´)
「ザ・ロック」(1996)
「オペレーション:ウルフパック」(2019)
「オペレーション:ウルフパック」(2019)
〇こんな話
米露の緊張状態の中描かれていく一昔前の対テロリストドンパチ映画の様相。...2だよ。〇相手を立てない議論
ISISへの攻撃に使用されるはずだったミサイルの弾頭2発が米国からシリアへと輸送中ナニモノかに奪われその後トルコ国内に持ち込まれたという。トルコ軍特殊部隊がその行方と陰謀を追う... トルコとシリアの問題に関してかなりざっくりとした理解だが...
解放による自由か?侵略による支配か? シリア内戦を受けてのトルコの軍事介入から、その情勢を受けて米露も加わった様々な思惑が交錯する中での、トルコとシリアの国境付近アフリン地域(シリア)にて展開された作戦がもたらした(ている?)混乱や懐疑を一刀両断する導入はトルコ側の正当性を顕示する意図があるのだろう、そこは明白だし汲み取れる。しかしこの一貫している主張が今作では予期せぬ疑念を生み出すことになってはいないだろうか。
その上で彼の存在というのは、トルコの主張と対立する相手側の主張、仮に全否定したいものであったとしてもテロリスト側の主張を一旦立てる意味合いがあるはずなのだが、今作も相も変わらずトルコ産ミリタリーアクション共通のトルコ側の主張を端から揺らぎのないモノ絶対的なモノとして立ててしまっているがためにそれが機能しているとは言い難い。テロへと奔った男の動機とするところが端から否定されへし折られてしまっているので議論の余地が無いのである。
彼の存在というのは映画としての体裁を保つための上辺だけのもので、そもそも議論などする気は毛頭無いのかもしれないが、トルコ絶対正義を導入において念頭に置けないと、彼が真相に納得するまでは彼の動向が宙に浮いた状態が続き、鑑賞者としては何と向き合えば良いのかわからない時間が流れる。
盲目的信仰に陥れなかった者たちにとってのこの間はいらんところへと意識を向かせるきっかけになり得るし、想定していないだろう答えなど用意されていないあらぬ疑念やわだかまりを生み出し、また不信感を募らせ熟成させるには十二分な猶予。
作品との思想が乖離したまま迎えるラストはただただ虚しく映り、トルコ賛歌よりもむしろテロリストへ通ずる理念を説いてしまっているかの様にも思える。
複雑化・混迷化している事態故に単純化し説きたいメッセージがあることは伝わるものの、頭ごなしに否定から入るのではなくもう少し問題となっている点を具体化する姿勢を見せるなり繊細なアプローチの仕方を考えた方が良いのではなかろうか。
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