ギャラクシー・ウォーズ (2013)

2021年9月8日水曜日

2013年の作品 ジャンル:SF 製作国:アメリカ

t f B! P L

~ゲーム依存者の末路?~


〇はじめに

 CG感を全開で出してくる画は好みなんだけど、ゴチャゴチャしすぎてて何やってるかさっぱりわからず、そもそものストーリーがチンプンカンプンピンポンパンポンプー。



〇想起する作品

 「トゥームレイダー」シリーズ
 「マトリックス」シリーズ
 「イグジステンズ」(1999)
 「13F」(1999)
 「ハリケーン・コースト」(2002)
 「アバター」(2009)
 「トロン:レガシー」(2010)
 「バーチャル・レボリューション」(2016)
 「レディ・プレイヤー1」(2018)


〇こんな話

 3DSが地球を救う???



〇ゲームの世界で現実を生きる者たち?

 ネオ・クロム帝国皇帝ネオ・カーン率いるネオ・クロム軍は地球全土をほぼほぼ制圧掌握。唯一アメリカだけが抵抗を続けていた。


 最前線で戦っていた(戦渦に巻き込まれた?)トムリン大尉は両足を失う大怪我をし離隊(?)、なぜか一緒にいた彼女も昏睡状態に。


 4年後、彼は3-DSなるVRゲーム(ってことで良いのかな?)のテストプレイヤーとなっていた...


・・・???

 アメリカ以外地球全土が掌握されているにも関わらず何故ゲーム産業がそこまで発展しているのだろうか?、またプレイヤーたちは呑気に楽しんでいるのだろうか?、という疑問が即座に噴出してしまうものの、

 戦争により愛する彼女が昏睡状態になってしまい、自身も両足を失ったトムリンの現実世界における振舞いとゲームの世界における振舞いの差異を前面に、

 また彼同様戦争により何か大切なモノを失った者たちを協力者にその言動を印象付けることで、悪く言えば逃避ということになるのだろうが、彼らが求めるナニカがその世界にはあるのだと辛うじて示された導入に後ろ髪を引かれる。


 しかし、現実世界からゲーム世界への繋がりをプレイヤーの内面(葛藤)やドラマを起点としていたにも関わらず、いつの間にかゲーム世界から現実世界へのようわからん技術的物理的な干渉が前提に据えられ、しかもその作用が2つの世界を繋ぐ起点を無視するいや帳消しにしかねないものであるにもこれまた関わらずその前提をメインに挿げ替えてしまうからもう意味不能。

 さらにはなぜそれが可能となるのか?という原因や理由に一切の説明をつけないまま勝手に万事解決してしまう様には「この作品に一片の悔いなし」の一言を捧げたい。



〇悔いなしと言いつつ

 いったい何だったんだろ?

 ゲーム世界での事象による現実世界での物理的欠損の修復ないし限定的な場における時間回帰の説明が一切つかない。「信じる者は救われる」または「真実の愛が~」といった精神的な世界のお話として貫いた鑑賞が望まれたのか。

 そもそもネオ・クロム軍が地球外からの侵略者かどうかの言及も無かったから、ゲームの世界から現実世界に干渉してきたお話ともとれるのか・・・

 となると、現実世界と仮想世界の2つの世界で推し量るものではなく、現実世界と仮想世界Aと仮想世界Bという何層何階層かに分かれているという構成として捉えた方が・・・?

 となると、これはハッピーエンドなどでは決してなく、現実とゲームとの境界がわからなくなった人間の、ゲーム依存者の、こち亀で言う左近寺的な末路ともとれるのか・・・

 う~ん、なんなんだろ・・・???



〇小ネタ

 「フち」って何?


 「75」か?


〇最後に

 フリーメイソンの話だったのかな?


 ではでは・・・


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