~私は誰か?~


〇はじめに

 主演の女優は多分全身改造しているサイボーグなんだけどどこまで狙ってるんだろうね・・・



〇想起する作品

 「スター・ウォーズ」シリーズ
 「ターミネーター」シリーズ
 「スクリーマーズ」(1995)
 「ロックアウト」(2012)
 「オートマタ」(2014)
 「スティールワールド」(2014)
 「ディバグ」(2014)
 「インタープラネット」(2016)
 「ザ・プロジェクト 瞬・間・移・動」(2016)
 「ジェネシス」(2018)


〇こんな話

 私は誰で何者か?



〇誰でもない

 10年に渡る大規模な戦争により絶滅に瀕した人類は、人工知能(AI)によりその危機を免れる。その後人類とAIは協力し、ワームホールによる星間航行、タイムトラベル(時間の遅れ?)、テラフォーミングの技術を確立。勢力圏を拡大し、新世界を構築した。


 しかしその一方で人類のAIに対する嫉妬や恐怖が蔓延、AIを排除する動きが強まる。駆逐されそうになったAIはなんやかんやあり進化、人類の存在を脅かす脅威となった。かつての友が敵に、戦争状態へと陥ってしまうのだった。だがしかし、AIは人類との和解と共存にこそ希望を見出すのだった...???


 自身の生い立ちに関する記憶が曖昧な“ボン”“ボン”“ボン”な容姿に人工的な香りを漂わせる主人公の、諸々含みを持つ発言を繰り返し主人公にだけ明かされない何かしらの秘密を共有している周辺人物たちと、口よりも先に手が出る無鉄砲彼氏との人間同士のやり取りに、

 助手席のワンちゃんをお子様と認識し、ただエンジンをかけることですら禅問答を展開する、一向に人間様の要求に応えてくれない、むしろアナログな手順の方が効率が良いんじゃないかとさえ思える、融通の利かないAIとのありがちでグダグダなイライラが募るやり取りの数々によって織り成されていく苦難の連続な旅を通じて、

 人間とは?、AIとは?、人間とAIとはどうあるべきか?、どのように関わっていくべきなのか?、とする命題にアプローチしていく。


 恋人(風俗)ロボットを配置し、セックスという行為に種の存続」「愛情表現」「娯楽」ないし「性処理」としての意味合いを含有させることでの、人間における縦の営み(親子という連続性)が、人間(親)とロボット(子)においてはどのように適用されるのだろうか?とする問いの提示に始まり、

 その先に当然の如く表出するだろうロボット同士においては?とする疑問を以て見直される、目的及び行動原理において人間の存在を前提とし、人間が必要不可欠な彼女(ら)の存在を糸口に、


 同種間の戦争により絶滅に瀕した人類...その窮地を救った人類が創り出したAI...人類とAIとの共存共栄...AI蔑視と人類マシン間の戦争...尚求める人類とマシンとの融合による一体...???...、という数多の事象及びその変遷と、

 何かしらの目的を達成せんがためにプログラムを組まれたマシン...“誰かである人間の記憶が埋め込まれたマシン...“数多”の人間の思考データがアップロードされた人間の身体...???...、とナニカに突き動かされるそれぞれの姿を経て為される、


 人間が人間であるが故の崇高な存在であるが故の「意識」「思考」「意志」「記憶」「魂」「神経回路」といったモノが、マシンにおける「プログラム」「計算」「情報処理」「記録」「データ」「人工回路」とは一体何が違うのか?、そしてそれらは相容れぬものなのだろうか?、とする問いへの昇華は実に素晴らしかった。



〇最後に

 主人公が明らかに容姿をイジっているってのは狙いやウケの部分なんだろうけれど、綺麗系なりかわいい系なりどちらにせよもう少し“若さ”を感じられる方が適役だったんじゃないかな。見映えはもちろんなんだけど、やはりどうも人工的な香りが鼻についてしまうのよね。まぁそれこそが味(人間味)なんだろうけれどもね・・・

 ではでは・・・

このブログを検索

Wikipedia

検索結果

アーカイブ

QooQ