~SWATを讃えよ、中国万歳~
〇はじめに
「S 最後の警官」
「教場」
「教場」
「プリズン・ブレイク」
〇こんな話
中国の特警(勝手にSWAT)は日々厳しい訓練に耐え、危険な現場に投入されては身体を張って人民の命を守っています。
〇隊員の区別がつかない
アメリカから輸入しているおクスリ劣悪版で幻覚症状を引き起こしている男が警官を撥ね逃走、地下鉄構内で若い女性を人質に取っているという。射撃訓練中のSWAT部隊がその現場へと投入されるところから物語は始まる。
なんやかんや制圧し、その後のシャワー室での一幕。これが今作の主役であるSWAT部隊を1つ象徴するものなのだろう。
事件を終わらせた一発を放ったスナイパーの葛藤が描き出され、同チームメイトは賞賛し、もう1つのチームがこき下ろす。同じSWAT部隊であるのに同じ目的を有しているはずなのに衝突が絶えない2つのチーム。
そして何よりメンバー全員が顔と顔、ムスコとムスコを突き合わせた裸の付き合い(イチャイチャラブラブ)であることだろう。絶対的な男社会であることを伺わせる。
それを受け合流する女性隊員と、その隊員への対称的な扱いから表出する諸問題。ただこの男女問題は超絶テキトウで、流行に乗ってただ入れてみた感じ。
「訓練と実践は違う」を決まり文句に、訓練と実践を交互に行き来していく中で、メンバーの個性が披露されていき、隊員個人の葛藤...チーム同士のわだかまり...男と女の性差...等々を浮き彫りにしそれを解消していく様は王道中の王道。
アクションも申し分ないのだが、彼らの個性を見せられて尚次の瞬間には誰が誰だか判別できない現象に陥り、場面と場面、訓練と実践、日常と現場とでキャラが繋がっていかず話が通じて行かない(そもそも描かれる事象も繋がっていない気が...)。これは非常に痛いところではないか。これは人種の壁なのかどうなのか。中国の方が見極めできるのかは気になる。いやむしろ狙いなのか。
また、地下鉄構内(実践)、ハイジャック事件(訓練)、高層ビル(実践)など場所変え品替え魅せようという心意気はすごい感じるし、高層ビルが立ち並ぶ夜景なんて1つ強味になるだろうに、最終決戦の場がなぜかありきたりの海の孤島という。強引に組み込まれただろうシチュエーションの数々や、セオドア・バッグウェルのお墨付きも相まって、やはりベースがコピーなのだなと感じさせてしまう作りには少々脱力してしまう。
これからもこういった作品が量産され、いつか越える時がくるのかもしれない。映画の“中”の世界においてそれは是非観てみたいものだが、現実問題では・・・
ではでは・・・
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