JIGSAW デッド・オア・アライブ (2006)

2021年8月8日日曜日

2006年の作品 ジャンル:サスペンス シリーズ:勝手にJIGSAW 製作国:イギリス 舞台:森

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~続けるか?~


〇はじめに

 なんでわざわざこんなことを・・・



〇想起する作品

 「チャイルド・コール 呼声」(2011)
 「ノー・ワン・リヴス」(2012)
 「ある奴隷少女に起こった出来事」ハリエット・アン・ジェイコブズ


〇こんな話

 奴隷制...服従の心理...ストックホルム症候群...負の連鎖・循環...



〇続く

 日々仕事育児に追われ身も心も休まらないシングルマザーのホープは、ある日姉?(同僚?友人?)に夜寝るときいつもグズるという娘ジェニファーのシッターを頼み、誰かの紹介だろうか初めて会う男性とのディナーへと出かけていく...


 敬遠されがちな境遇故最初は引け目を感じていた彼女だったが、子持ちである自身と娘の存在を肯定し受け入れてくれそうな男性の計らいに女の顔を覗かせる。しかしひとたび帰宅すれば愛する娘を想う母の姿があるのだった...


 次の日、彼女は目を覚ますとなぜか棺の中におり、脱出を試みるもそこは木々が生い茂る見知らぬ森の中で娘の姿はどこにも確認できない。また次の瞬間黒づくめの男に気絶させられ、目覚めると大木に縛り付けられているのだった...


 娘の安否不明行方不明のまま、なんだかんだあり黒ずくめの男との三食付きの共同生活が幕を開ける。彼女は足を鎖に繋がれ鍋磨きと畑いじりを強要され、恐怖に怯えながらも脱出の好機を伺うとともに娘の救出を第一に考えひたすら耐え忍ぶのだった...


 誘拐犯の目的や意図に意識が向いてしまいがちになるが、「なぜ?」「なんで?」といった疑問を追及するよりも、理不尽だろうと支離滅裂だろうとその場においてはそれらが平然と罷り通っている現実があり、そこは男が支配する領域でそれに抗うことができない、という前提として受け止めるべきだろうか。

 そんな場において、首吊りロープ...首吊り死体...お腹の縫合された真新しい傷跡...木の下にぶちまけられた腸...カミソリ刃...突き立てられたナイフ...

 彼女が今置かれている状況とこれから辿ろうとする道及び生と死の分岐を、前任者の存在と痕跡(残骸)により把握させる演出はイヤらしく、また後継を出現させ彼女を前任者(1つのルートを辿った存在)として位置付けることでさらなる道や分岐を指し示す演出には絶句。


 残骸となった前任者の方々、後継者としてのホープ、前任者となったホープ、そして赤子の様に泣き叫んでいた後継者の女性が見舞われる惨状の中に、血の付いたテディベア、髪の毛、と随所に存在を仄めかしながら、そのひたすらに膨れ上がった狂気をいつもグズるという独りの少女へと投影するフラッシュバックさせるラストには言葉を失ってしまった。

 娘はなぜ母の姿を見ても表情を変えることなく、言葉も発せず、声すらも発しなかったのか・・・


 元凶がいなくなって尚、原因が取り除かれて尚、恐怖という呪縛に囚われた彼女たちは、巣食ったトラウマにより果てしなく続く苦しみは、如何様にして解放へと快方へと向かうことができるのだろうか・・・



〇最後に

 この作品はちょっとしんどかったな。勝手に「JIGSAW」シリーズの冷やかしで観るモンじゃなかった。

 ではでは・・・


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