~コロナ禍の分断~


〇はじめに

 レンタル版のジャケは女性がフィーチャーされてるけど主人公はこのセル版の男の人で、ジョン・マルコヴィッチその他は敵。



〇想起する作品

 「トゥモロー・ワールド」(2006)
 「ザ・ウォーカー」(2010)
 「コンテイジョン」(2011)


〇こんな話

 コロナ禍を受けての作品なのだろうけれど・・・



〇メチャクチャタイクツ

 変異に次ぐ変異を重ねた新型コロナウィルスの蔓延で人類が滅亡の危機に瀕した近未来。元FBIだというベンは先祖代々より守ってきた土地で、復活という奇跡を体現し自身を神の使者であると自称するアーロン様から、生まれながらにしてウィルスの免疫を持つという少女を匿うことになるのだが...


 コロナ禍という未曽有の事態を経験した(している)世界だからこそ問えるナニカがあるのだろう。

 情報収集の手段がラジオという媒体に限られ且つそれが怪しげな放送であることは断片的な情報に一喜一憂し不確かな情報に踊らされる、陰謀論やフェイクニュースに揺れる世間の混乱を想起させる。


 ジョン・マルコヴィッチ演じる教祖アーロン様と彼を崇める狂信者たちは、安心を得たいがために都合の良い情報に飛びついてしまう、真偽など二の次で信じたいモノを信じる人間の姿であろうし、また同調圧力に苦しむ姿でもあるかもしれない。引くに引けなくなってしまった苦しみもまた?


 そして少女の存在というのは、PCR検査の信憑性、偽陽性と偽陰性、非感染者と無症状者の違いはもちろん、未知の感染症の脅威や恐怖それ自体を象徴するものと言えるのではないだろうか。


 そんな中で見据えるベンが抱える父親との関係への後悔と、ほぼほぼ見ず知らずの少女と歩もうとする未来。コロナ禍によって生じた分断の中で、人と人との繋がりの見つめ直しを図らせようとする試みは評価できるのではないだろうか。



〇最後に

 ただね~・・・、退屈なのよ・・・。

 ではでは・・・


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