~愛は時空を超える~
〇はじめに
「元SWAT隊員」という文言は出てこなかった気がする。あとスコット・アドキンスは自動小銃を手にすることも無かった様な?
「ブレイド」(1998)
「トランス・ワールド」(2011)
「ダークスカイズ」(2013)
「リアル鬼ごっこ」(2015)
「ドクター・ストレンジ」(2016)
「ヴァレリアン 千の惑星の救世主」(2017)
「バトル・スカイ」(2018)
「バトル・スカイ」(2018)
「エイリアン:ダーク・プロジェクト」(2019)
「PORTALS ポータルズ」(2019)
「ワールドエンド」(2019)
「バミューダ・トライアングル」
「鋼の錬金術師」
〇こんな話
愛を阻めるモノは無い...〇愛は時空を超える
処分場なのだろうか、息絶えた人間たちが運び込まれ、首の後ろに取り付けられた蜘蛛型の装置が取り外されていく。その処理に携わる者たちの首の後ろにもまた同様の装置が取り付けられており、人間を使役し使い捨てにするナニモノかの存在を伺わせる。 諸々の経緯不明、そんな場所で目覚めた男が1人目の主人公。脱出を図ろうとしたところ、同じ建物内に愛する娘が囚われているのを発見し救出を試みる。その際人間たちを操り娘を捉えている張本人とも相まみえることに。
目の前にいたのに手で触れることができたのに娘の救出は叶わず、操作された人間との戦闘を一切苦にしないほどの実力を魅せるも、そのナニモノかには一矢報いるどころか触れることすらできずにいなされ、彼女をその場所に残しベトナムへと舞台を移すことになる。
辿り着いたベトナムにおいて殺しを請け負う男が2人目の主人公。彼は悪事に手を染めていることを自覚しながらも、何より愛する妻のために人を殺すことで大金を稼いでいる。
最後の仕事を終え足を洗おうとした矢先、妻が先ほどのナニモノかに攫われてしまう。対人戦闘において無双を誇る彼ですら、誘拐現場に居合わせながら何もできないのであった。
愛する娘を攫われた男と、愛する妻を攫われた男。愛する娘を救出すべく奮闘する男と、愛する妻を救出すべく奮闘する男の物語...
人類の中で最上位の戦闘能力を有する2人と上位種との距離感をそれぞれに測らせるオープニングは絶妙で、また2人を拮抗する実力であると魅せることで、共闘ならば相乗効果を生み彼らに届き得るのかもしれないとする期待感を煽られること必至(すっとぼけ)。
彼らを8次元の存在だとしているのだが、これは難しい理屈を捏ね繰り回したいのでは決してなく、単に理解し得ない存在であり且つ別世界(別次元でも別の時間軸でもなんでも)のモノであるとしたいだけなのだろう。
なぜなら1人目の主人公の失われた記憶や発話能力(言語能力)の回復をショック療法で描いている様に、この作品の根幹にあるのは根性論に精神論だからである。つまり描きたいのは腕っぷしと何より娘を想う妻を想う愛である。
2人の境遇と動機が時間と次元を超えて一致した時、人種を越えた、国を越えた、言語を越えた、時空を超えた愛を目撃する・・・ことになる・・・かもしれない・・・。
〇最後に
2人が共闘したからこそ勝てたというより、作品の都合上彼らを引きずり下ろさざるを得なかったと見えてしまうのはちょっと痛いところかな。
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