~がんばらなくてもいいでしょう~
〇はじめに
「ベイビー・キャッチャー」の監督なんだけど、あれなんかイマイチ印象に残るものが・・・無い。〇想起する作品
「ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ」(2005)
「イントルーダーズ」(2011)
「ババドック 暗闇の魔物」(2014)
「ダークネス」(2016)
「ライト/オフ」(2016)
「ステファニー 死体と暮らす少女」(2017) 「ベイビー・キャッチャー」(2017)
「ダニエル」(2019)
...子どもがナニカとお話してる系のやつ。
〇こんな話
空想のお友達Z(ズィー)がいるとかいないとか・・・
〇もういっそ諦めちゃえ
他人に興味が無いのか独りを好むのか、自分の世界に閉じこもりがちなジョシュはある日空想のお友達Zと親しくなり終始べったりに。 育児に介護にとお疲れ気味(?)な母のベスは、何かと息子を気に掛け始めるのだが、自身の知らないところでジョシュは問題行動が山積みで、プライベートな付き合いにおいても距離を置かれ孤立しているのだった。
理解していたはずの息子の思いもよらない一面が段々と明らかになる中で、遂にはベスもZの存在を認識し始める。しかし頼れる親族はおらず、ママ友はある事件を決定打に全員ゼッキョ状態で、最後の頼みの綱だった夫はというと・・・。どないせ~っちゅうねん。
ベスに起きている問題を周囲の人間が矮小化し過ぎているというか、唯一助けになりそうなお医者さまですらある種自己責任論で放り投げており、助けるどころかむしろ追い詰める方向にしか動いていないのは気がかりなのだけどそれは置いといて。
妹が生まれたことで姉妹となり、妹にべったりな両親の下姉という役割を担わされたベスがZを生み出した経緯は想像に難くなく、病床にある母が傍にいる姉のベスを蔑ろにそこにいない妹を気にかけているのも、Zという存在の所為だけではなかろう。自身が守るべき家庭を以て尚彼女はその呪縛から解放されていない。いや再度束縛されることになったと見るべきだろうか。
また、ベスが当時どのようにZから解放されたのかということも考えねばならないのだろうか。ジョシュを守るためにベスがとった選択が、かつてのベスの父の姿に重なるのなぜなのだろうか。父及び夫の立ち位置で描かれるZではあるが、一瞬映り込むその姿は中世的な容姿にも見え、両性において出現していることからも起源は彼女よりも前の可能性すらある。
姉が抱え込んでいた役割が妹へとシフトしたことでこれからより一層の助け(繋がり)が必要になることだろう。いやある意味でこの状態が健全というか、妹にとっては助けられたということに?
がんばらなくていいでしょう、Z世代!!
〇最後に
生活感だったり肝心の繋がりや関係性がイマイチ見えにくく不親切なお話の作りなんだけど、前作「ベイビー・キャッチャー」の微かな記憶を辿るに全然そんなこと無かった気がするのだけどどうしたのだろうか。次作に期待。
0 件のコメント:
コメントを投稿