~周囲の理解が大切~


〇はじめに

 これ先に観てよ~わからんかったから監督の前作に糸口を見出そうと「ザ・スタンド 連続殺人犯の元カレと妄想症に悩む私」を観てから還ってきたんだけど・・・



〇想起する作品

 「ザ・リング」シリーズ
 「インプラント」(2002)
 「サイン」(2002)
 「ネスト」(2009)
 「ダークスカイズ」(2013)
 「ババドック 暗闇の魔物」(2014)
 「ラ・ヨローナ 泣く女」(2019)


〇こんな話

 「ザ・スタンド 連続殺人犯の元カレと妄想症に悩む私」の前日譚であり且つ後日譚でもあるのだと思う。



〇後悔ないし懺悔

 夫の不倫と自身のノイローゼの苦しみの果てに離婚(別居)したアニーは、娘のエミリーと2人亡き母と暮らした家へと引越し、新生活へと歩み出そうとしていた...


 しかし越してきたその日から夜な夜な不可解な現象に見舞われ、明くる日には畑に光源が多数出現し家の中にも侵入してくる始末。娘の体調や行動にも異変が現れ始め遂には娘が姿を眩ましてしまうのだった...


 アニーはエミリーがナニカに攫われたと主張するのだが、夫や警察は彼女を信用しないどころか彼女が虐待を行っておりエミリーを殺害したと決めつけ一向に聞く耳を持たない。なんやかんやあってアニーは娘を救出すべく奔走する...


 監督の前作「ザ・スタンド 連続殺人犯の元カレと妄想症に悩む私」と同様、妄想か現実かってところが1つ軸にあるのだが、今作はというとさらに時系列をちょっとイジって魅せてくれるからさらに混乱しやすいかもしれない。内緒の話現に私が・・・、ってか撃たれた夫元気だな。

 で、前作では主人公の周囲の人間を理解者で固めていた一方で、今作はその反対の無理解者でガチガチに固めているのがおそらくもう1つのポイントなのだと思う。それを踏まえて...


 オープニングにおける夫誤射事件はどのように映ったか。当初どのように受け止められただろうか。

 なぜ彼女は一切の躊躇無く夫に引き金を引いたのか。一見ナニカから逃げ惑う娘とそれを助けようとする母親の姿は、母親が娘を追い詰めている様に、または娘が母親から逃げている様にも見えなかったか。


 吸魂地底人の襲来が妄想か現実か曖昧な様相は「ババドック 暗闇の魔物」や「ベイビー・キャッチャー」の様に(育児)ノイローゼに苦しむ母の孤独や不安に混乱の体現であり、客観的事実がどうであれ彼女にとっての現実であり真実であることが重要なのだろう。

 段々と周囲にもその現象が認知され始め、割と現実寄りの出来事だったと帰結していくのだが、私にはその展開が周囲の理解を得られず孤軍奮闘する主人公に対しての何か後悔や懺悔の様なモノに思えてならなかった。


 詰まるところこの作品の真髄とは、主人公の視点に同期するのはもちろんなのだが、それよりも彼女に寄り添おうとする理解しようとする周囲の目線を養うというか育むというか考えることにあるのではないだろうか・・・と。



〇猫

 明るいにゃ~



〇最後に

 このPadraig Reynolds監督はちょっとチェックだな。パドレイ(グ)・レイノルズ。

 ではでは・・・


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