オデッセイ セカンドレボリューション (2003)

2021年2月17日水曜日

2003年の作品 SF:接近遭遇 ジャンル:SF 製作国:アメリカ

t f B! P L

~男と女から親と子へ~


〇はじめに

 前作もそうだし、「ディープ・コア2002」(2002) も顕著だったけど、この辺りの年代は基本中国が悪者。



〇想起する作品

 「2001年宇宙の旅」(1968)
 「天の茶助」(2015)
 「ステファニー 死体と暮らす少女」(2017)


〇こんな話

 トーラス再び! 今度は2つだ!!



〇横の繋がりと縦の繋がり

 前作から10年後、トーラスによる地球の滅亡を防いだメイソン・ランドとカジャ・ザバンの間には性交渉無しで息子が生まれていた(正確には性交渉前に身籠った)。しかしトーラスの存在を是としないジェネシス同盟なる組織に付け狙われ妻が殺害されてしまう。残された父子は逃亡生活を余儀なくされていた...


 上位種を据えることで人類の見つめ直しを図るというコンセプトは同じだが、人類の争いを受けてトーラスが出現するといった具合に前作とは順序を逆転させていることと、

 ジェネシス同盟なるネーミングやその組織の思想の開示、性交渉無しでの受胎とその子どもの持つヒーリング能力等々宗教観を強めているのと、陸海空のみならず宇宙開発競争による米露VS中の緊張状態を軸に据えていることで、

 地球における人類の対立や状勢が捉えやすくなっており、前作よりアプローチしやすくなっている。


 前作においてトーラスが人類に見出した希望、メイソン・ランドとカジャ・ザバンの2人の繋がり、男と女の繋がりが冒頭において欠落しているのに対し、今作のトーラスは前作同様命を生み出すタイプと、正反対の命を奪うタイプのものが描かれ、トーラスに対し「対」の概念が適用されている。

 人類とトーラスにおける「対」となる存在の消失と出現を描き出すことで、地球(人類)を取り巻いているアンバランスな情勢を際立てつつ、命を奪うトーラスへの舞台の移行により、亡くなった者たちの意志を受け継がんとする者の存在をまた際立てる。


 さらに、前作におけるトーラスと今作における1つ目のトーラスの入り口が側面にあったのに対し、2つ目のトーラスの入り口は上部にあるとし、再度出現した理由を据えることで、今作において見出される希望が、前作にて見出された希望を受けてモノであるとするリンクが構築され、男と女の「横」の繋がりから親と子の「縦」の繋がりへの移行はスムーズに感じる。

 そしてその希望となる子ども(息子)の存在を、人類が繰り広げる殺し合いを受け、命を生み出す者と位置付けることで新人類及び新時代の到来を予感させつつ、

 いや、2つのタイプのトーラスの出現を受け、彼は命を奪う存在にもなり得るのだと影を落とす事で、これからの時代を担う存在たちが道を踏み外さぬ様、同じ過ちを繰り返さぬ様、何ができるのか、何をすべきなのかとする問いに落とし込んだのは良かったのではなかろうか。



〇最後に

 「サードレボリューション」を迎えない様にせねば!!

 ではでは・・・


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