~Homo homini lupus.~
〇はじめに
フェミニズムの台頭、もしくはその暴走が背景にあるんじゃないかな…イタリアはどうなのだろうか。先進的なのか後進的なのか…
〇こんな話
ホモー ホミニー ルプス〇人間は人間にとって狼である
昨今女性の権利主張が何かと盛んである。しかしその運動の中には、女性に今まで認められてこなかった権利の正当な要求というより、女性にのみ特権が与えられるべきだとする過剰なものが散見される。同等の権利が保障されることに留まらず、別の誰かの権利を奪おうとする姿がそこにはある。今まで虐げられてきたとする反動なのだろうか。誰かの権利を剥奪し迫害することでしか自身の権利の実感を得られなくなっているかのように…では、その迫害に対しまた権利を主張することをすればどうなるだろうか…?
エマは女性学を研究する大学教授であり、魔女狩りといった歴史的にある迫害を、男性が無実の女性に対して行った一方的な仕打ちだとする見地に立ち擁護を試みている。そして彼女自身の描かれ方として女性性が何かと強調されており、不当な扱いを受けてきた者たち同様一方的な被害者の様に映る。
しかし繰り返される生命権(生存権)の剥奪に対し彼女は、相手の権利を剥奪する(殺り返す)という手段を講じる場面が存在する。そうしなければ彼女は生きられなかったからであるが、彼女もまた加害者になり得るという姿である。そして一方的な被害者に甘んじていた彼女は、ラスト完全なる加害者へと変貌する。
彼女の主張は一見荒唐無稽に思えるが、魔術の存在が明らかとなってからは信憑性が生まれ始め、ラストにおいてそれは確信にも変わり兼ねない。彼女は明らかに加害者であるが、その前に被害者であった可能性が浮かび上がる。彼女は今まで魔女に奪われてきたものを奪い返すために、そして自身の立場を守るために魔女を探しては惨殺している。果たしてそれに限りはあるのだろうか?
彼はスクープを追いかけるマスゴミであり、事件の手口を知り尽くしている者でもある。彼は今回の事件をどの様に見つめ、また自身は周りからどのように見られるのだろうか。真実などどうでもよく、面白おかしくスクープを狙っている様に映る彼はどちらの側にもつき得る傾き得る人物である。
彼は最後の最後にやっと顔を出し、全くの部外者であるにも関わらず彼の中にはすでに真実ができあがっている様に見える。果たしてそれはどんなシナリオであり、いったい誰のためのものなのだろうか。
エマは魔女狩りが男性の女性に対する一方的な迫害だとしており、
ジュリアは魔女が人間を迫害したから抵抗したのだと言い張り、
ダニエルはカルト教団の罪無き女性の惨殺だとし、
刑事はダニエルがジュリアの惨殺とエマの失踪に関わっていると見ている。
男と女、魔女と人間、カルト教団と少女、犯人と被害者…
大学教授のエマ、地元の観光ガイドのジュリア、スクープを狙う報道記者のダニエル、刑事…と1つの事件に対してこれだけの見方が存在する。
これはそれぞれに根ざしているものがあり、前提とするところ(偏見)があり、皆が皆自身の正義及び利益…いや欲を優先し動いているからである。
またその中で女性(当事者)2人、男性(部外者)2人の性別及び立場を同じくした者同士の対立。そしてその垣根を越えた共通項が見えてくる。
刑事の見立てがエマの歴史観に通じており、しかしそれはジュリアという存在によって覆りかねず、ダニエルの茶々によって際立ちも煙に巻かれもするだろう様相は、その時々で変わる尊重されるべきとする価値観…歴史の廻りを示唆している様にも想える。
人間は人間にとって狼である。
人間は自己保存欲の奴隷であり、他者より優れたいがため行動する。
昨今平等を掲げる運動が何かと盛んであるが、その動機がこの域を出ないものだとしたら…
そもそもこの是正せんとする格差の存在もこの動機を礎としたものではないのか…
だとするのならば平等を掲げる者たちは如何様にして平等を実感でき、その弊害として虐げられようとする者たちはそんな迫害に如何にして立ち向かおうとするのか…
時代の変遷と共にヒトの在り方に対する意識や価値観が変化することで、究極図式(攻防)が反転及び逆転するせめぎ合いが度々起こっている、とするのがこの作品の示唆したいところではなかろうか。
では、今何がまた起ころうとしているのか・・・??
〇最後に
ポンキッキでこんなマーク見たぞ・・・ではでは・・・
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