~ベビーシッター文化~
〇はじめに
エミリーの違和感や目的ってのはわかるんだけど、序盤の子どもたちへの仕打ちとの繋がりが見出せない。何が意図があったのかな?〇想起する作品
「ホーム・アローン」「エスター」(2009)
「フォービドゥン 呪縛館」(2016)
〇こんな話
エミリー刺激強過ぎwww〇エミリー
ベビーシッターという風習をテレビでしか知らないからな、何とも言えない部分もあるんだけど・・・ベビーシッターの専門業者はあるんだろうけど、この作品の場合はそういった社会的な信用という後ろ盾のある人間ではなく、信用の置けない全くの見ず知らずの人間でもなく、知り合いを通じてまたその知り合いを通じて少なからず繋がりがあるだろう人間にベビーシッターを任せるという前提の上観るべきなのだろう・・・。そんな無条件な信用に付け込むエミリーを楽しむ。
日本でもよく人と人との触れ合いが減ったと話題になる。隣人や近所付き合いが無くなったと、宅配物を隣の住人に預けるのが禁止されたと、人間関係の希薄化を嘆く声がある。安全や信用の問題、面倒事に巻き込まれないようにといった対策ではあるが、ほんの少し繋がりがあるだけで防げる助かる事態があったりする。
子グマの死亡事故は防げるものではなかったか・・・?
その反面SNSでの交流が活発化。SNS上でのやり取りを通じ見ず知らずの人間と出会うなんてことが盛んに行われる様になり関係の幅は広がった。しかしこれまた事件が後を絶たない。
SNSが無かったらマギーはベビーシッターを断る用事が舞い込んで来なかったかもしれないし、アンナに気軽に頼みもしなかったのではないか。
アンナ本人はSNSでベビーシッターのアピールをしていた様で、もしこれを確認していれば事件を未然に防げた節がある。しかし父親はSNSに疎く、母親もまた躾の一環で長男の携帯を取り上げている。
SNSの流行していない一昔前であれば絶対に気付けなかっただろう事件に見える現代だからという兆しに対し、いや一昔前であればもっと人間関係が直接的だった密であっただろう事から未然に防げたはず、いやそもそもエミリーの事故へとも遡り今回の事件は起こり得なかったのではないか?とも見えてくる。
結果論ではあるのだが、社会の形態が変化してきている昨今、家族及び親子の在り方はもちろん、現代へと受け継がれている風習や慣習の在り方を、存続の是非も含め見つめなおすきっかけになればいいんじゃないかな。
〇最後に
エミリーくっそエロいwwwではでは・・・
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